市場機能回復へ一歩前進したYCC運用の「柔軟化」
日米欧の中央銀行の金融政策決定会合が重なった7月の中央銀行ウィークが終わった。市場参加者の見方が分かれていた日銀の金融政策は、数ある金融緩和策のうち、YCC(Yield Curve Control: 長短金利操作)の運用を「柔軟化」するという決定がなされた。
2022年12月20日のYCCの運用見直しと今回の変更を比べてみると、前回が10年物国債の変動幅を0%±0.25%程度から0%±0.5%程度に拡大したのに比べ、今回は、@10年国債の操作目標金利は0%±0.5%と据え置いたまま、A0.5%以上の金利上昇も容認しつつ、0.5%〜1.0%の範囲では、機動的に各種オペを通じて金利上昇を抑制する、といった内容で、日本語の響きからすると、昨年12月の変更が変動幅を広げた「柔軟化」で、今回が枠組みを変更した「修正」という方がしっくりとくる。
しかし、今回、日銀が「修正」という言葉を使わず、「柔軟化」という言葉に固執したのは、大規模な量的・質的金融緩和の枠組みを変えたのではないと強調したかったのだろう。いずれにせよ、「修正」「柔軟化」といった文学の世界の議論はさておき、今回のYCCの運用方針の変更の意義は大きいと考えている。
ひとつは10年金利のアップサイドの変動幅を実質的に拡大することで、市場の価格決定機能の回復に役立つであろうという点、二点目は運用対象としての円建て債券の魅力が増し、日本の金融機関の資産運用の選択肢を拡げる点である。
まず、一点目についてはあまり議論の余地もないと思うが、金利にしても為替相場にしても価格形成機能を市場に委ねず、一定の水準に抑え込むということはどうしても経済環境の変化に伴ってどこかの時点で無理が来る。当初の水準が、水準を決定した当時にはどんなに合理的な水準であったとしても、環境が変われば非合理な水準となっていく。
新型コロナ感染症という世界的なパンデミックの流行で、人の移動をビジネスの起点とする業種・業界の需要が世界中から蒸発し、各国政府が有効需要を作り出そうと大規模な財政支出と同時に金利を限りなくゼロに誘導した時点から既に3年以上が経過した。どの国も歴史的な積極財政・金融緩和策を採ったことでインフレが進行し、2022年から金融引き締めに大きく舵を切ったが、主要先進国の中では日本だけが、未だに長短金利ともに超低位での金利誘導を続けている。
米国の短期金利は5.3%、10年債金利は4%という水準にも拘わらず、日本の短期金利はゼロ金利近辺、10年債金利は0.5%という金利水準を維持し、金融的な鎖国を続けたまま、グローバル・エコノミーの主要メンバーで居続けるというのは、どうにも無理がある。輸入物価を通じてインフレは伝播し、実際、直近の日本の消費者物価指数の伸びは米国のそれを上回っている。
今回、日銀が今回発表した経済・物価情勢の展望(展望レポート)では今年度の消費者物価指数の見通しの中央値が、前回の+1.8%から+2.5%へ大きく上方修正されたものの、来年度の見通しは、前回の+2.0%から+1.9%へ下方修正されている。
今後、日本はガソリン補助金が9月末に廃止され、電気・ガス価格激変緩和対策事業による補助も、2023年10月以降の取り扱いは不透明だ。それは今年度中に顕現化するインフレ要因で、展望レポートでは今年度の上振れ要因として織り込んでいるのかも知れない。
しかし、展望レポートでは、「来年以降は賃上げの動きが想定ほど強まらず、物価も下振れる可能性がある」と、賃上げの落ち着きを要因に来年度の物価見通しを下方修正しているが、来年度は、物流の2024年問題、建設業の2024年問題など、労働需給は更に、ひっ迫し、人件費を押し上げる要因が目白押しだ。
展望レポートの後半では、「物価の見通しについては、2023 年度と 2024 年度は上振れリスクの方が大きい」とリスク要因として言及することで人件費上昇によるインフレリスクに間接的には触れてはいるが、物流の2024年問題、建設業の2024年問題といったホットイシュー(Hot Issue)に正面切って触れていないことは、どうにも違和感が拭えない。展望レポートは、今年度が物価上昇のピークという空気感を醸し出し、大規模緩和を正当化するための道具として利用されているのではないかと勘繰りたくなってしまうほどだが、来年度の物価見通しが正しかったかどうかは、後に歴史が証明してくれるだろう。
ただ、今回、長期金利の「柔軟化」で、これまで以上に長期金利を市場に委ねる余地を作ったことは全体としてプラスの面が大きいと思う。それが、二点目の円建て債券の魅力が増したことである。特にこのタイミングで円の長短金利差の拡大(利ザヤ拡大)の余地を作ったことは、本邦金融機関にとって外債投資から円債投資へのシフトを加速する後押しとなる。
2022年の半ばから米ドルの短期市場金利が急騰したことで、米ドルの低利の調達手段を持たない金融機関は米ドル建て債券保有を継続すると逆ザヤが生じている。今年度はその逆ザヤが期間損益に本格的に影響を与え始める年度だ。外債を売却して外債運用を縮小するには、評価損が実現損となる悩みに加えて、売却して生じる余資をどこに振り向けるかという悩みもある。それが、今回の措置で円建て債券の金利が適度に上昇し、母国通貨(円)で長短金利差が拡がることで、これまで以上に利ザヤが稼げるようになれば本邦金融機関にとっては外債投資の有力な代替運用手段となる。
最後に、今回のYCCの「柔軟化」が為替相場にどう影響するかだが、6月号で述べたとおり、現在のドル高・円安トレンドは、@米ドルと円との圧倒的な金利差、Aイールドカーブが、円は順イールド、米ドルは逆イールド、という日米の金利構造の要因が主因であり、YCCの「柔軟化」だけで、この環境が覆るまでには至らないと考えている。
円建て債券の利回り上昇による外貨建債券からの運用のシフトも、銀行にとっては主な負債が自国通貨建て預金であり、もともと外債投資を始めるときに為替ヘッジを用いて実質的に外貨調達・外貨運用としていることから、外貨売り・円買いの需給は生じないケースがほとんどだろう。
むしろ、相当の長い期間において、日銀が短期金利を上げるつもりは無いだろうと市場に見透かされてしまうと円安が止まらなくなることを心配してしまうのだが、それについては次回に考察したい。
次回に続く
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